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地名のおもしろさ 投稿者:nuboさん
◆葛生町大字牧の変な小字が存在します。明治9年地租改正の際付された地名です。

 小字の名は、明通・治通・九通・年通・地通・租通・改通・正通と八つの字となっています。あるときNHKが調査に来ましたが、十分な情報は無くそのままボツとなりました。 当地区は村民の居宅もバラバラに存在し、散村といえる邑であったようだ。昔の区域区分が無かったのかも知れない。大字の名は古代からの「牧」である。牧とは古代・中世の馬の牧場であり、広大な地域であったはずである。マキのはずであるがなぜかマギである。
 また、田沼町大字栃本の小字は一通・二通・三通・・・といいかげんな地名となっています。 更に、他の地区では一伊通・一呂通などとなっている地名もあります。 ところが、上記各地は現地に行ってみると、もっと小さい村落共同体の区分であった登記簿と異なる地名が存在します。上坪・下坪・川入・大久保・・いっぱいあります。 その調査だけで一生やっちゃった学者もいます。どうですか、おもしろそうでは・・・

◆葛生町の旧大字葛生に小字で変な地名があります。四十八願という地名です。

 読めますか・・・読めたらすごい。偉い地名や姓氏を研究している学者が賞賛します。 「ヨイナラ」と読みます。この地の山手に大昔、死者を葬る場所がありました。風葬・土葬・火葬と時代の変遷を経た中で不浄の地として忌み嫌われた場所です。現世の人間のいる場所でなく黄泉の原(あの世)だったのです。  
 筆者は仏法の理りは承知しませんが、或るとき、その地域の入り口にあたる場所で高僧が死者を弔う為に四十八の願をたてて、おまつりしたとのこと、以後その地一帯は黄泉野原と呼ばれ続けた。ヨミノハラが訛ってヨイナラとなった。忌み嫌われる文字を佳字に入れ替えた。昔の人は器用だ。その地名を名乗る人が佐野市に数戸ある。

◆上三川町に「汗」という地名があるそうです。

  いまは登記簿に存在しているか承知しませんが、何と読むでしょうか。「××××」です。
 フザケンジャねえと言ったところで半分正解。フザカシと読むそうです。なんでも、近くの鬼怒川渡行の船場で鑑札を貸していた。これを札貸場(フダカシバ)といった。その近くに薬師堂があって、願を受けるたびに汗をかく。そこで「札貸場の汗薬師」といった。のちに、汗の字だけで「フダカシ」というようになり、その後の言葉が訛った結果「ふざかし」となった。薬師はいまもあるそうだ。満願寺だ。

◆芳賀町に変な地名があった。

  交通案内板で時々見る「祖母井」? 字が違うかも・・ウバガイだって、いい加減にしろと言いたくなる。ババガイじゃねえか。

◆地名と苗字

 明治維新後、全ての国民は苗字を付けることを命令された。どうやら陸軍の徴兵制徹底の為に必要だったらしい。苗字・名字は今では同義語であるが昔は違うらしい。氏と姓や本姓とどうのとあったようだ。
 例えば栃木県南部の場合、藤原秀郷の関係でいろんな系図がどうのとある。藤原秀郷流小山氏系何々家の一族云々とあるが、豪族として各地に定着しそれぞれ地名を名字として名乗った。各家は在地豪族として繁栄し或いは盛衰を繰り返し存在し、名字を名乗り現在に至った。(大昔、地名を名字として名乗ることは、領主に類する等、特別の立場の人以外は許されなかった。分家や移転で出身地を離れ、故地の地名を名字として名乗ることは可能であった。)


「祖母井」 投稿者:芳友さん
おめえこないだのよ「祖母井」よめだがい?
 俺は栃木の地元だもん、よめんに決まってっぺな。
それじゃよ、何で「ウバガイ」って地名がついたか知ってっかい?
 しんねえ。おめえ知ってんのが?
しんねえ。
 どっかに出てねえが調べてみっがあ・・・ ちょうどおもしろいのをみつけたぞ。

ちょうどおもしろいのをみつけたぞ。
同じように地名に興味を持つ人はいるもんで、神奈川県伊勢原市に伯母様(おばさま)という地名があるけどこの曰くが知りたい。という質問に学者先生は

 伯母様は当て字である。似た地名はいくつかある。例えば
 福島県西郷村に伯母沢(おばざわ)
 京都府亀岡市に伯母妻(おばつま)
 愛知県豊川市に乳母カイツ
 福島県いわき市に乳母懐(うばふところ)  など。
 これはもとはウバカイ。表記はちがうが伯母袋なども同源。
 姥、祖母の文字をあてたところもある。
 これらはほとんど同じで、地形語である。オ・ハザマが原意に近い。
 すなわち小さなハザマ。小狭間、小谷間のこと。

 ということなんだよな。それとよ同じ芳賀郡の茂木町に、九石(さざらし)というとこがあんだよな。これも読めねえよな。サザンが九からきてんのがなと思って調べたらよ、ここは那珂川右岸で小石が多い。小石は細々石(さざれいし)ともいう。細々石や三三流石では長すぎる。そこで九石に。ということらしいけど土地では他にも伝えがあるらしいけどな。
 もう一つ気になるのがあってな、小山市に「神鳥谷」というとこがあんだけど、これで(ひととのや)って読むらしいんだよな。なんで神がひとになってんだがわがんねんだよな。 だれが知っている人いたら教えてくんねえがな。

参照文献 
丹羽基二著 祖先がここまでわかるおもしろ地名史 青春出版社
日本全国苗字おもしろ風土記 新人物往来社 別冊歴史読本
「神鳥谷」について 投稿者:芳友さん

小山市の中心部に位置する「神鳥谷」について
昭和61年10月14日の朝日新聞におもしろい記事があったので、紹介します。以下新聞記事より

「しととのや」「ひととのや」。読み方はどっちが正しいの?
「ひととのや」の「統一見解」を取る市役所内部でも、これに同調する市民課と「しととのや」を主張する教育委員会が対立する有り様だ。市民課は「ひととのや」の根拠として、全国の市町村役場で広く利用されている「日本市区町村総覧」Dの「ひらがな地名一覧」を挙げる。同課は昭和58年1月、市民台帳の電算化に踏み出した際、この総覧に従って「神鳥谷」の読み方を「ヒトトノヤ」と片仮名で打ち込むと同時に、市民などからの問い合わせに対してもすべて「ひととのや」と答え、同課は「しととのや」は誤りです、と強気の弁。
  これに対し、市史を編さんした教委は、市史の中での記述はすべて「しととのや」で押し通している。元禄14年7月(1701)の元禄郷帳に「神鳥谷(シトヽノヤ)」と書かれ、下野国の様子を記述した歴史書「下野一国」にも「志とゝのや」との記述が見られ、さらに、田代善吉氏の「栃木県誌」にも、神鳥谷は「シトト」と読む、とあり、史実に基づいている、と同教委は自信満々だ。
  また、郷土史家の武井佐久三氏も、地名由来「神鳥谷」考で、しとど(古くはシトト)は巫鳥・鵐と書いて、小鳥の名、巫鳥の巫は、神に奉仕する人だから神を当てて神鳥と表記し、神鳥谷をシトトノヤと読むようになったのだろう。
 この地名は中世史料には現れず、今のところでは慶長18年(1613)が初見である、と考察している。昭和59年12月8日発刊の角川書店「栃木県地名大辞典」は「ひととのや」であり、県地方課編集の「栃木県市町村要覧」の中では「しととのや」だ。
  神鳥谷地区に昭和60年11月、代理店を開設した足利銀行は市民課の言い分に従って、入り口に「足利銀行ひととのや代理店」と横書きで表記したところ、市民から「しととのや」の誤りではないか、との指摘を受け、思案にくれている。

以上記事抜粋。 小山市ではこののち「ひととのや」で統一となったようである。




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